20160219 of Central Sun Ascension Report

/光の道とは/心の根本にある信念/外見的な行動ではなく信念で光の行動をとっているか/心の本質的なところでもっている良いもの/日本人的な優しさは海外では通用しない/相手のためを思ってウソをつくのは光の道ではない/相手に合わせるだけでは光の道ではない/海外では利用される日本人/だまされないように生きることも光の道/根本の考え方が違うと平和は難しい/

2016/2/19 光の交流会

このメッセージのいいねポイントは

他を生かす心が光の道をつくる


①日本人同士の平和は海外では平和ではない

私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。皆さん方の毎日の生活において、どういう行動をとっていくか、どういう行動が光の行動であり、どのような自分の言動、言葉使い、考え方が光につながっていくのか、それらについて話をしていきます。光の道と簡単にいったとしても、その解釈は一人ひとり異なってくるでしょう。

多くの人が小さい頃から身につけた自分なりの価値観をつくっており、良いことや正しいことという価値観は小さい頃にかなりつくられてしまいます。皆さん方の人間の状態で見ていくと、いわゆる小中学生の頃にはもう自分なりの善悪の判断力が身についてきて、自分にとっての正しさ、自分の向かうべき行動基準がつくられていきます。

経験によって少しずつ修正されていきますが、ただ根本のところの自分なりの信念のようなものは、すでに小さい頃につくられており、この根本的な信念はそんなに大きく変わることはありません。社会の中でいわゆる仕事や他の人とのかかわりにおいて、礼儀やルールとして身についたものはあります。

この礼儀やルールとして身についたものは、あくまでも場における自分の行動の仕方であり、心の中では必ずしも一致していない場合があります。礼儀としてルールとして守って行動したとしても、心の中では必ずしもそういう心をもっていない、単に相手に合わせて場に合わせて行動しているだけであり、深いレベルの自分の心の信念としてはまったく相手に対する思いやりがない、こういう人もたくさん存在しております。

相手に対する敬意や思いやりをもっていても、ただそれをどう表現して良いか分からず、結果的に何もできないままで終わっている人もおります。いわゆる光の世界から見た時、ただ礼儀や形式に従って見かけだけで良い行動をとっていても、心の中では本当はそう思っていない人と、心の中では本当に相手に対する思いやりをもっていながらも、どう行動して良いか分からない人、こういう人においては、あくまでも光の世界から見たら心の中に相手を思いやる気持ちをもっている人の方が光の道を歩いているように見えていきます。

皆さん方の人間社会においてはやはり見かけや外観的なもの、形式的なものを重視して、それに合わせようとする傾向が強いですが、光か光でないかという観点で見ていった時には、形式的なものや外見的なものはまったくそこには入ってきません。自分の心の中のいわゆる信念のようなもの、本質的なもの、その根本の思いがどうなのか、それにかなり大きく左右されていきます。

その人の根本的なところで本当に人のために何かしたい、本当に何かしてあげたいという気持ちがある時は十分に光輝いており、それは光の世界から見ても光の道を歩いているように映ってきます。ただ何かしたいという気持ちがあってもそれが行動に現れてこない、気持ちだけもっていても実際の言動が噛み合っていないという人もたくさんおります。

このように心の中では相手のために何か思いをもっていても、具体的な行動として現れてこない人、具体的な行動が身についていない人、こういう人は何らかの修練によって少しずつ光の行動を現すことができるようになります。本来の自分の真心や心のこもった気持ちをうまく態度や行動に移していく、そのための美しい言葉使いや行動の仕方、それを一つひとつ身につけていって、本当に気持ちが行動に移すことができるように学びを続けていくのです。

根本的なところにこの相手に思う心や、大事にする気持ちがない中で、ただ形式的な礼儀だけを身につけていく、ただ言われた通りに行動を起こしていく、これは人間世界では通用したとしても、光の世界から見た時にはまったく光の道を歩いているようには見えてきません。

何でも形式的なものが悪いとか、人間的なものが悪いという意味ではありません。形式的なことも大事ですが、それはお互いの人間関係においてしっかりと相手との関係において一般的なルール、いわゆる相手を不安にさせないとか、相手を安心させるという、そういう最低限の気配りや心配りとして、ある一定の行動は十分に認められているでしょう。

しかし最終的には本当に心がどう思っているか、これがかなり大きく左右されてきます。この本当の心がどうなのかというところで、今の日本人全体においてかなり希薄になっている状態が見られております。挨拶にしても行動においても形式的にただ言われたことを行なう、言われた通りにやるという人が多くなっており、それがどういう意味をもつのか、挨拶や行動の一つひとつにどういう思いが含まれているのか、そういうレベルで見ていくと、ほとんど心がこもっていない、光の入っていない挨拶や行動がとても多く感じられております。

日本人の光の道として見た時、まず日本人自身が本質的にもっている良いもの、良い資質を生かす方向で光の道を歩いていく、まずこういう光の道があります。日本人自身が本質的にもっているもの、いわゆる礼儀や作法や相手に対する思いやり、相手に迷惑をかけないという思い、こういう思いはとても大切であり、この思いを正しく行動に移していく、これはある意味では光の道をしっかりと歩いていると見ることもできます。

ただこの場合は日本人が本質的にもっているもの、相手に対する思いや心配をかけない、迷惑をかけないという心、これを本当に大事にしてそのために自分自身もこの良い思いを広げるようにしていく、こういう気持ちをしっかりともって行動していくと、必ず相手にも伝わり、周りに良い影響を与えていきます。ただ日本人の心の中でも光のように見えて光でない言動もたくさん存在しております。

光の道のように見えて実際にはそうではないとものとして、必要以上に相手に干渉し、相手のことを思ってあげている、相手のためを思って行なった、いわゆるあなたのためにやったとか、こういう言い方で相手にかなり介入してくる場合があります。いわゆる日本人的に言うと、恩着せがましいとか、そういうエネルギーになりますが、実際には相手のことを思っているように見えて単に自分が相手におせっかいをしたいだけのエネルギーになっております。

せっかく買ってあげたのに、せっかくしてあげたのに、このせっかくという思いが特にそうであり、相手のことを思っているのではなく自分がしたことを思ってほしい、自分に目を向けてほしい、自分がやったことを評価してほしい、こういう思いが日本人の中に残っており、これは必ずしも良い光のエネルギーとはいえません。むしろ相手にとっては不快感を感ずるエネルギーになっていきます。

相手との関係を長く続けさせようとして、その時その時にいろいろ取り繕ってしまう、本当は自分が希望していなかったとしても、相手との関係を長く保とうとして相手の都合の良いように返事をしておく、自分は本当は望んでいないけれども、相手が望んでいると感じて相手の望み通りにしていく、いろんなところにおいて相手のためを思いながら自分の本当の思いを隠したり、あるいはそれをぼかしたりして表現しないようにしていく、これも日本人の日本人的な優しさですが、これに関してはほとんどの他の国では通用することがないでしょう。

これからの日本人の国際的な人々が増えていく中で、相手に合わせて、相手に合わせることが良いこととして自分の意見を抑えるとか、自分は黙っているという行動は実際にはまったく相手のためになっておらず、自分のためにもなっていないこと、これを理解する必要があるでしょう。日本人はこういう行動を当たり前と思い、むしろ相手のことを考えてあげたとか、相手のために思ってあげたという、何か良いことをしてあげたかのような感覚を身につけておりますが、これはまったく良いことにはなっておらず、むしろ自分自身もダメにしながら相手もダメにしているという、まったく好ましくない行動になります。

したがって、こういう相手のためを思って自分に嘘をつきやりたくないことを行動したという場合は、光の道から完全にそれていることを理解しておいてください。日本人が判断をする時、自分自身にとってどういう風な判断基準を身につけているか。一般に場が良ければそれで良いという一つの判断基準があります。日本人は一人ひとりの個性を尊重するよりは、その場全体の雰囲気、その場全体の状況を見て流れで判断する傾向を身につけております。

そのために、仮に好ましくない意見であったとしても、大多数の人がそれを賛成していたとすると、好ましくなかったとしても多くの人が賛成しているという理由で多くの人の意見に従う場合があります。これも日本人的な大きな問題であり、これも光の道にはまったく入っておりません。やはり間違った判断や間違った行動という時は、それ自体が光の道ではなく、それを分かっていて行動しなかったというのは、またさらに間違った行動をとったことになります。

自分自身の心にいかに正直でいることができるかどうか、自分の心にうそをついてわざわざやりたくないことをやってしまう、自分が望んでいないことをやってしまう、これは光ではない道を進むことになります。今の日本人はこの光ではない道を歩いている人もかなり多く、本心では望んでいないことを周りに合わせて行動していく、本当は自分はそう思っていなくても多くの人が賛成しているから、その道を歩いておく、こういう人がとても多くいますが、これは結果的に光ではない道を進み続けることになり、必ずしも日本が平和になるとは限らない道になります。

皆で意見を統一して皆で良い方向に進んでように見えても、結果的にそれがうまくいっていない場合は、やはりそれは間違った選択であり、その選択は光がなかったと言うこともできます。間違いが見つかったらすぐに訂正、修正して、そしてやり直す、この心がまた必要ですが、日本の人々はなぜかそこに執着してしまうところがあり、間違いに気付いたとしても間違いと認めず強引に進んでいく、間違っていると他の人から指摘されても、それを認めず、自分が正しいと言い続けて進んでいく、こういうケースも多く存在しております。

この場合も必ずしも光の道ではないために、後でこれが戻ってきて、自分が光の道ではないことを行なっているという現象が現れてきます。一人ひとり注意すべきことはこういう日常の中の判断の様子が伺えますが、これから皆さん方が新しい地球や第四密度の地球に向かうつれて、当然これらの判断基準も大きく変わってくる必要があります。

いわゆる皆に合わせている、皆に合わせて協調性を保つというのは、必ずしも日本にとって良いとは限らないということを理解しておいてください。今、世界的に見ても日本人はかなり利用されている民族になります。日本人はその場の雰囲気に合わせ、ただ相手の言うなりになるような民族として知られているために、ほとんどの国の人々がいかに日本人を利用していくか、日本人を利用して自分たちが得をするためにどうするか、それをかなり真剣に考えている人がたくさんおります。

日本人は日本人の人同士で接しているために、そんなに悪い人はいないとか、そんなひどい人はいないとう意識をもっていますが、世界的に見た時、むしろ多くの人々がいかに人を利用するか、いかに相手を騙してでも自分が得をするか、そういったことを考えている人の方が圧倒的に多いということを理解しておいてください。

日本がどんどん国際的になり、海外からの人々が増えてくるに従って、正直や真面目で生きることが必ずしも正しく生きることにはならなくなってきます。やはり相手を見抜く力、相手に騙されない生き方、こういった能力が要求されてくるのです。今多くの人々が巧妙に巧妙に騙すことを考えているために、表向きとても良い人で優しい人で、知性があるからといって信用できるとは限らなくなってきています。

特に外国の人が日本の人々に対して、何か良い話、何か日本人にとって得があるような良い話をもってきた時はかなり注意すべき必要があるでしょう。そんなに良い話はほとんどないと思った方が良いでしょう。しかしだからといって海外の人を無視するとか、海外の人を信用しないというわけではありません。やはり中には真面目で真剣に日本人と接して、日本人の良いものを広げていこうとする人々も少しはおります。

そういうわずかな人にいかに出会って、そういう人の思いを広げていけるか、これが皆さん方の行動になっていくでしょう。海外の人の中で本当に信用できる人、本当に光のある人、本当に日本の良いことを広げようとしている人、そういう人と積極的に接してそしてその人を通して広げていってもらう、これは可能性のあるやり方になります。

ただその人の言われる通りに自分が何かをしていく、自分が金銭を出したり、場所を提供したりして、その人と一緒にやろうとすると、多くの確率で騙されてただ物だけが取られてしまう可能性があります。したがって表面的には必ずしも良い人だったとしても、すべてを信用することは難しいといえるでしょう。その人がうそをついているか、騙そうとしているのか、ある意味ではこれを見抜く力が要求されており、だからといって見かけで判断したり、雰囲気で判断することも正しいとはいえません。

また多くの日本人がこういう雰囲気や外観で判断して、これが正しいと信じ込んでいる人がたくさんおります。私の感覚は当たっている、私の感覚は鋭いと、自分で認めて、それで自分の感覚でこの人は信用できる、この人は信用できない、このように判断していく人もたくさんおります。こういったこともかなり危険な場合もあるために、自分の思いや感覚はただの材料にしていろいろ実際に話をしてみたり、相手の言動を見て判断していく、そういったことも必要になってきます。

これからの日本人全体の方向性として、日本人が求める平和的な感覚は、ある意味ではとてもシンプルで良い表現ですが、国際的な観点で見た時、必ずしもそれは平和ではないことを理解しておいてください。多くの他の国の人々の平和観は、自分たちの国の考えや自分たちの人種、そういったものがしっかりと認められ、その認められた行動がしっかりとれることが平和だと感じております。

したがってキリスト教徒の人やイスラム教徒の人は、それぞれ自分たちの考えている平和の価値観があり、それは日本人のもっている価値観とはまったく異なったものになります。これらをうまく合わせて本当の平和な社会をつくろうとしても、基本的に考え方の根本が違っている時には平和は築くことは難しいといえるでしょう。

むりやり価値観の違う人同士を平和にさせようとして共存させると、必ず争いが起こります。平和にはなっていきません。そういう意味において、根本的な価値観、根本的な考え方が異なる時の平和とは何なのか、どうやって本当の平和をつくり上げていくか、それを皆さん方が考え、身につけていって、本当の平和を地球上に実現できるようにしていってください。

それではアドバイスをしていきます。

Aさん、あなたの人生における光という価値観は、これまでは単純に良い人や優しい人、争いのない人が光という価値観で見られておりました。しかしそれは本当の光ではなく、単純に人間がつくり上げた一つの概念と言うことができます。あくまでもあなたにとっての光は、あなたが心の中でつくり上げてきた美しいものや素晴らしいもの、心の中で染み付いてきた自分なりの高貴な考え、それを広げていくことがあなたにとっての光になります。あなたの心の中にある素晴らしいものや高貴なものというのは、あなたが本質的に身につけていた一つの価値観であり、これは自分から悪いことを一切考えることもなく、初めから自然に良いことや正しいことを行なっていく、初めから騙されたり、おかしいことを教わらなければ正しく光を出して進んでいくことができる、こういう本質的な考えが心の中にあります。これはこれで一つの光として正しい光を出しておりますが、ただ人間は元々間違って理解し、間違ったところから反省して、そして智慧を身につけていく、間違いを材料にして前に進んでいけるようになる、こういう力を与えられているのが人間になります。そのためには間違うこと、光ではないことを行動していくこと、こういったことも必要なものとして与えられているのです。したがってこういう間違いや光から離れること、そういったことでさえも光に向かう一つの道であること、必ず光からそれたように見えても又光に気づき戻ってくる、常にそれをフォローし手伝い、導き、本来の光にもっていく、これがあなたにとってのあなたの光の道になっていきます。

Bさん、あなたにとっての光の道は、あなたは光をかなり学び、光をいろんな観点から感じられるようになっております。そのため光の価値観に関して敏感なところがあり、これは光なのか、これは光ではないのか、そこに意識を向けやすくなっております。表向き光でないように見えても、実際には光であったり、あるいは見かけは光のように見えて実際は光でない場合があったりします。あなたは今その学びを行なっている最中であり、見かけの光と本当の光、これを見分ける練習を行なっている状況と思ってください。そのために自分が意識すること、自分が何か気になることや自分がいろんなところで考えてしまうこと、それはどれが本当の光なのか、本当の光がどこに入っているのか、そういったことを見分けるための学びということができます。いろんな光の状況を学んでいきながら、見かけは違っていても本当の光をしっかりと見抜き、本当の光だけを見ていく、そういう行動がとれるように身につけていってください。

Cさん、あなたにとっての光の道は、あなたは多くの人々が仲良く、お互いに争いがなく、普通に暮らせることが光の道のように感じられております。あまり目立ったことをしたり、場を乱すようなことがないように全体がうまく収まっている、全体が調和を保っている、こういう状態が光のように感じられております。調和があってまとまっているのは、確かに光の一つの側面ということはできますが、日本人の場合はそこだけに意識を向け、仮に光がなくても調和が保っていれば良い、光がなくても一つにまとまっていれば良いという意識も身につけております。やはり光がない調和や、言葉だけの一つになった感覚は、必ず光でないものを引き寄せてしまい、そこで争いやトラブル、分裂が起こり始めていきます。光が本当に入っていて皆が光につながっていれば、分裂したり、お互いの足を引っ張ることはありませんが、光が入っていない場合は、和をつくろうとしてもどうしても分裂が起こっていきます。したがって皆で仲良くまとまって一つにするという光を考えた時は、一人ひとりが光につながっている必要があること、一人ひとりが必ず何らかの光につながり、いわゆるそれによって一人ひとりの何らかの良いところ、一人ひとり違ってきますが、ある人はただ働いてお金をもってくる、これもその人にとっては光であり、それを他の人も認めていく、あるいはただ全体を求めるために嫌な仕事でも一生懸命やっている、これもその人にとっての光であり、それを他の人も認めていく、いろんなことにおいて一人ひとりが何らかの光を身につけ、それがお互いにつながっていること、そうすれば調和やまとまりを実現することができます。しかしその価値観は人によって違うために、皆が認める光はやはり道徳的なものや本質的な徳の面に現れてくるでしょう。したがって徳というところにおいて、どこまで一人ひとりが本当の光のある徳を身につけていくか、これによって全体的な方向性が光になっているかどうかを見ることができるでしょう。

Dさん、あなたにとっての光の道は、あなたは自分自身の光の観点において自分でも時々勘違いしたり、間違ってしまう傾向があります。自分では光と思っていても光ではなかったり、相手の光でないような言動が実際には光に満ち溢れたりしている場合があります。そういった意味において、本当のスピリチュアルな光と自分の頭で考えている光がまだ一致していないという状況があります。本来のスピリチュアルな光というものは、必ずしも自分を満足させたり、自分を守ってくれるものではなく、むしろ自分を成長させるもの、自分の心を見ていき、心の中の弱いところを働きかけ、心が強くなるようにもっていく、自分の弱さをしっかりと指摘して自分で立ち上がり、自分で歩いていけるように、厳しく厳しく自分を導いていくもの、これがスピリチュアルな光になります。スピリチュアルな光は決して甘いものではなく、楽なものではなく、楽しいものではありません。自分の心を強くさせ魂を強くつくり上げていくための原動力であるために、光は正しいことを行ない続ける強さが必要となるのです。そのためには自分の弱いところや甘いところがあった場合は、光はそこに鋭く入り込んできます。それを優しく包み込んでくれるのは必ずしも光ではありません。自分にとって理解している光が本当は違っており、あなたに今必要なのはスピリチュアルな光であること、自分の弱いところを強くさせていく厳しさのあるスピリチュアルな光、それがあなたにとっての光であり、その道を進んでいくことがあなたにとっての光の道だということを理解しておいてください。

Eさん、あなたにとっての光の道は、あなたは自分の環境や世界の中で、自分というのは少しずつ少しずつ理解し始めていき、自分と他人との関係において少しでも良い生き方や関係をつくろうと努力をしている最中といえます。あなたにとっての光が少しずつ変わってきており、いわゆる自分の考えていた自分の光からスピリチュアルな本当の光へと修正が進んでおります。まだ完全なスピリチュアルな光には達していないために、あとその修正の部分、残りの部分を学んでいる最中といえます。あなたがこの本当の光を身につける学びとして、人間の心と接しようとする時、どうしてもその人の心そのものにつながったり、心そのものを理解することができないために、表面的なところから少しずつ知ろうとしていく、何か分かっているところやつながりのあるところから少しずつ近づいていって、そして本当のその人の心のところに入ろうとしていく、こういう意識で人間関係を続けております。このやり方そのものは間違ってはおりませんが、なかなかこれがうまく進まないのは、どこかで自分自身の光の価値観、自分自身の価値観が先に働いてしまい、自分の価値観に相手を合わせようとしたり、自分のペースで合わせようとするために、相手の光が必ずしも自分とつながらない状態になってしまいます。相手の光とつながるためには自分が相手に合わせていく、自分が相手の心に合わせ、相手の深い心のレベルで本当のその人の光とつながっていく、こういったことによって相手の光がつながるようになるのです。したがって相手との強いつながりをつくって光の道に向かおうとする時、自分のペースで行なおうとするより、相手のペースを感じてみる、相手の心に自分から近づこうとしてみる、そういう意識で本当の光を見つけ、自分の光とつなげるようにしていってください。

Fさん、あなたにとっての光の道は、あなたとかかわり合ういろんな人は、すべてあなたの何らかの光とつながっている人が集まっております。あなた自身の心の中から出てくる光があなたの周りに広がっていき、その光に感じた人があなたのところに近づいてきます。ただあなたから見た時にはそれがどの光で、どうつながり、どの人とはどういう光のつながりかといちいち知ることはできません。ただ何らかのあなたの光とつながって近づいているのです。あなたはその一人ひとりに対して必ず何かをする必要があります。それは光のレベルでやることであり、必ずしも人間的なことや表面的なことではありません。その人が何らかの癒しを求めている、その時あなたの心の中から自然に何らかの癒しの言葉を出していったりする、ある人は光から先に進むことができず、ずっとつまずいている、あなたはそういうところの人に何かヒントを出したり、何かその人が前に進めるようなことをしていく、こういったことが続けられているのです。あなたの意識に入っていないものも多くありますが、必ずあなたの言動において何かがヒントとなり、それらの人を光の方向へと導くようにしているのです。これからそういったことを感じようとするのであれば、深いレベルでその人の心を感ずる練習をしていってください。表面的には何も問題がないように話してきても、心の深いレベルで辛い感覚をもっている場合があります。そういう人には単純にその辛さに意識を向け、辛さが解放されるような心のエネルギーをもっていく、こういう工夫をしていろんな人に光を届け、そして光の道を皆が進んでいけるように導いていってください。

Gさん、あなたにとっての光の道は、自分なりの正しさや光の基準がまだ身についていないために、何が光の道で何が自分のエゴなのかを区別することはまだ難しいでしょう。基本的には自分自身の心の深いレベルで明らかに正しいと思えること、明らかにこれは宇宙にとって良いと思えること、それは基本的に正しいやり方といえます。しかし実際の人間関係においていわゆる感情の問題や相手の気持ち、相手の好み、こういったことが入ってきた時、それは何が正しいのか、実際にはそういう場合において正しい行動というものはほとんど意味がありません。人間が勝手につくったいろんな価値観、好き嫌いやいろんな好みが入っているものに関しては、正しいかどうかはほとんど影響してこないのです。その場合の正しさは単純に相手が困っていたら何か助けてあげる、相手が迷っていたら少し協力してあげる、そういう意味の程度でしか正しいという行動がとれなくなっていきます。したがって今のレベルにおいては、必ずしも正しさだけに意識を向けるよりも、正しい行動とは何なのか、自分自身が正しく行動していくためにはどうするか、まずそういう自分の心の在り方を見ていき、自分で心をコントロールできるようにしていってください。

Hさん、あなたにとっての光の道は、あなたが少しずつ社会につながりをつくり、社会とのかかわりで心が変化していく時、いろんな人の行動が自分なりに気になるようになっていくでしょう。なぜこの人はこういう行動をとるのか、なぜ皆にこう合わせないのか、いろんな思いがそこで沸き起こってきます。その時に一人ひとりに対して自分が使う何らかの価値観、この価値観や考えの基準、行動の基準が光になっているかどうか、これがあなたの今の状態における光の道になっていきます。相手のいろんな判断をする時、感情的に判断をしたり、いつものやり方で判断するのではなく、それがその人にとって本当に成長することかどうか、その人にとっての正しい道を歩んでいるかどうか、その人にとってということはその人が成長する方向、その人がより正しい道に進めるようになる方向、そこに向かっているかどうか、それを感じとっていき、その方向にもっていく、これがあなたにとっての光の道になるのです。そのために今はそもそも光とは何なのか、正しいとは何なのか、一つひとつを学びながら他の人とのかかわりでまず自分が正しい行動をとっていく、そうやって光の道を自分なりにつくり上げていくようにしていってください。

Iさん、あなたにとっての光の道は、あなたは多くの人とのかかわりの中で、自分がもっている価値観、考えをどの程度人とシェアしたり、人と話し合ったりして共有していくか、あるいは自分は自分で心の中で思っていることをどの程度他に示した方が良いのか、そういうところでのいろんな価値観が自分の行動を惑わせております。あなたにとっての光の道は単純にあなたの仲間たち、あなたの光の仲間たちとあなたがいかに同じ方向を進んでいくか、あなたが周りの光の仲間たちの思いをいかに受け取って、同じ行動をとっていけるか、これがあなたにとっての光の道になります。あなたの周りにいる光の仲間たちは基本的には一つひとつにあまり口出しをすることはしませんが、いわゆる光の道と光でない道の分岐点の時に必ずあなたに直観なりインスピレーションを与えて、光の道に進むことを暗示していきます。しかし必ずしも具体的に明らかにこれが光というやり方はとることはありません。自分自身でそれを見つけ感じてもらうことが大事であるために、単なる直観で終わらせるようにしておき、あとは自分で考える、自分で見つけていく、自分で光の方向へ進んでいく、これが求められているのです。したがって何らかの直観、これが沸いてきた時に自分が光を見つけ、光を行動に移していく、これがあなたにとっての光の道を進むという状態になります。


今日は日本人にとっての光の道というテーマでお話をしました。一人ひとり光といわれても分からないことがとても多いでしょう。基本的には光は自分から出ていく光であり、これは他を生かすもの、他を照らすもの、社会を導くもの、これが光であるために、他人や社会に無関心な場合は光は出ていかないことになります。自分から周りに意識し周りに働きかけていく、そうすることによって光が出ていく、それが光の道になっていくのです。

ぜひ自分の方からいろんなことに関心をもち、興味をもって光を出していけるようにしていってください。それではここまでにいたします、ありがとうございました。


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