20190521 of Central Sun Ascension Report

/光の龍神/封鎖された祠と秘密の出入り口/人間の意識が堕落しそこに邪気が住み着いた/あえて自然界に魂を捧げる人間たち/都会における自然と人間/植物界も進化している/カカロ/天気の意味/

2019/5/20 宇宙交流会

このメッセージのいいねポイントは

人間はもっと自然の気持ちを考えること



①人間と自然がよいバランスをとって共存する

光の龍神として話をします。光の龍神の世界から人間を見ていて、感じていることを伝えていきます。

光の龍神の世界は、人間世界から見るとまったく見えない所に隠されております。以前は光の龍神と人間の世界の出入り口があり、そこを通して人間世界に入ることができました。しかし光の龍神の世界と人間の世界の出入り口は封鎖されてしまい、光の龍神が人間世界に直接、出入りすることができなくなっておりました。

皆さん方に一時的に協力してもらって、この出入口、人間の言葉でいう祠(ほこら)の部分が少し修復されたことにより、限られた光の龍神だけが分からないようにして出入りすることが可能になりました。しかし表立って堂々と出入りを行なっていくと、また見つかってしまい、封鎖される可能性があるために、今はわざと見つからないように、どの場所か特定されないように、一部の光の龍神だけが秘密の祠を通して出入りすることができるようになっております。

日本の昔の人々はこの祠についてよく理解しており、人間世界と光の龍神の世界とのつながりを重要なものとして認識しておりました。そのために光の龍神の世界から見ても、人間世界で何か異常があればすぐに人間世界のところにでかけ、人間と協力し合って自然のバランスをとる、自然世界を新しい自然の状態に合うように変化させていく、そういったことを行なっておりました。

しかし、人間の意識が堕落していき、だんだん自然を聖なるものと見る意識が薄れていき、人間の都合によって自然世界をコントロールする状態に入って以来、人間のマインドに邪気が住み着いてしまい、それによって人間と龍神とのつながりが切れていきました。

まだ今も人間と龍神のつながりは切れたままですが、人間はそれでもまだ自然界を自分たちでコントロールしようとする、自分たちの都合にあわせて自然世界を変えていこうとする意識は変わっておりません。

人間世界で起こるさまざまな自然現象、いわゆる災害、水害というものは、自然の意識が現象化させております。自然の世界から見れば、意図的に、計画的に災害が起こされていきます。ただそれぞれの目的は必ずしも決まっているものではなく、その時々の事情によってさまざまな目的があります。たとえば屋久島の大雨に関していうと、これは人間とはまったく関係のない事情によって大雨が仕組まれていきました。

雨を管理する神様が一時的に不在となり、それによって一時的にバランスをとることができなくなり、それによって大雨が起こされていきました。一時的に不在になったのは、人間にはまだ理解することはできない事情であるために、あまり意識を向ける必要はありません。ほかの地域でもさまざまな災害が起こっているように見られておりますが、それぞれ別の理由で現象が起こされております。

ある水害に関しては太陽と水との相性、エネルギー的な不都合が生じてしまい、そのアンバランスな状態を正常化させるために水害のように現象が起こってきました。基本的に人間に関係がない水害に関しては人間が犠牲になることはありません。

人間が自然現象の犠牲になる場合は、人間が自然界の意志を無視して、人間の都合で自然界の仕組みを破壊させた時、それをを修復しようとして人間が少し犠牲になる場合があります。また自然界の進化の流れにおいて、どうしても人間の魂を必要とする場合があります。人間の魂をいただくことにより、自然の力が強く動き出してきて、ある程度、人間の魂のパワーを使って自然界が大きな進化をなす、大きく自然の力を使えるようになる。そのために人間の魂をいただく許可をもらう場合があります。

もちろんその時の犠牲になる人間たちとは事前に了承を得ており、人間の魂は自然の仕組みの中に献上することを理解して、自らが自然の中に入っていきます。多くの場合はこういったや理由によって、人間が自然とのかかわりを現象化させていきます。

今、地球自身がアセンション、第四密度の地球へと進化していく流れにおいて、この植物、自然界も大きな大きなアセンションの影響を受けております。植物もそれぞれのアセンションの時期に入っており、次の植物の段階、あるいは一部の植物は動物へと進化する段階に入っております。それぞれのアセンションの状況に応じて、進化の場を再調整する必要があり、それに応じてさまざまな土地の変化、気候の変化、地球そのものの大地の変化が行なわれております。

さまざまな形で現象化される地球の変化は、すべてが正しく、正常な変化をなしております。人間がさまざまな介入をして、温暖化とか自然破壊とか、そういう状況を起こさしておりますが、それがすべて悪いというわけでもありません。

地球自身が新しい地球になるために、わざと人間を使っている場合もあります。ただすべてが許されるものではなく、やはり地球そのものが破壊的になるような状態、自然の生命体系が大きく崩れてしまうような現象においては、必ずしも良いというわけではなく、やり過ぎという状況があちこち現れております。

人間を通して自然を少し変えていこうとした場合、ほとんどの場合、人間はやり過ぎてしまう傾向があります。ちょうど良いところで人間が止めたり、気づいて止まってくれれば良いのですが、ほとんどの場合、人間は限度を知らず、徹底的に破壊的な現象を続けてしまいます。そこだけがどうしてもあまりよくない評価になりますが、それを除けば一般的に人間も自然界の意志に従って介入しているということができます。

自然と人間との状態においては、そういう意味では、8割方うまくバランスがとれた働きを行なっており、ただ一部やりすぎて限度を越えてしまう。そういうところが目立つという言い方になります。むしろ、人間だけで生活している都会、都市の領域において、自然がほとんどないこの都市部の人間生活の方がかなり自然とのつながりをなくしてしまい、自然界の声が届かず、人間だけで勝手に生息しているという状態を作っております。

この都会における人間だけの生活空間、ここが大きな穴を作っており、自然のエネルギーがほとんど入ることができず、これによって地球そのものがアンバランスな状態を作り出しております。やはり自然のエネルギーが一定の割合で存在していることが望ましく、ほとんど自然がない状態で人間が住んでしまうと、人間そのものがバランスをとることが難しくなり、それによって犯罪や精神的な問題、生まれながらにして異常な子供たちが現れたりします。

これらはすべてほとんど自然がない都会における現象となり、人間がそれに気づいてもっと自然が多い仕組みに作り替えれば、問題は解決しますが、それに気づかずに、さらに自然がなくなる方向へと進めていく場合、もっともっと人間側の犠牲者が増えることになります。

皆さん方のレベルでそれを理解して、少しでも人間世界が自然とバランスのとれた生活の仕方、共存の仕方を学んでいただければと願っております。

②カカロ:さまざまな天気は人間へのメッセージ

カカロといいます。ここで何度か話をしている内に、少しずつ慣れてきました。人間とのつながり肩、人間に対しての話の仕方が分かってきて、人間との良い関係が感じられてきました。はじめはあまり人間を好きではありませんでしたが、今はそういう嫌な気持ちはほとんどなくなってきました。皆さん方から良い思いが届られるようになり、少しは安心できるようになってきました。

さて、自然災害、破壊や人間と自然との関係、いろんな複雑な問題が潜んでおります。人間が見ている自然災害もすべてが悪いとかすべてが良いということはできず、良い場合も悪い場合もあり、その時その時の状況を見抜かないと、うまく言うことはできません。

ただほとんどの場合、人間と自然の間の理解、コミニケーションがうまくできていないことが原因ということもできます。自然界は、人間にさまざまな方法を通してメッセージを与えております。ほとんどの場合は、天気を通して人間にメッセージを与えております。自然現象、雨や曇り、晴れ、いろんな天気の現象はすべて人間に対するメッセージと思ってかまいません。

ただの天気予報として理解している人が多いですが、実際に自然が人間に与えているメッセージということができます。太陽がずっと照っていてとても気持ちよく、良い雰囲気という晴れの日、この晴れの日というのは自然界からのメッセージとしては、自然は自然の世界でうまくやっているけれども、人間の世界は必ずしもうまくやっていないために、人間の世界に自然界から良いエネルギーを渡してあげる、人間世界の邪念や曇ったものを追い払おうとして太陽を使い、太陽の気を使って人間世界の邪念を払っていく。そういう時が晴れの日になります。多くの人は単純に晴れだと喜んでいきますが、本来、晴れの日は、人間の心があまりよくないときであり、それををよくするために太陽を使っている払しているのです。

曇りの日というのは自然界から見たとき、人間よりも自然に対してちょうどよい光やちょうどよい水分、いろんなものが自然界に対してちょうど届くように調整している時が曇りになります。曇りの時はほとんど人間のことは考えておりません。むしろ人間は何もしなくても大丈夫、その人の人間は人間だけで十分にうまくいく。そういうときに、人間に意識を向けずに、植物や自然界そのものにうまく太陽や湿気が届くように仕組んでいきます。

雨の日は、やはり自然界から見たとき、邪気が多く溜まっているときに、邪気払いをするために雨が降らされていきます。この場合の邪気は空中の邪気と同時に大地、地面にある邪気を追い払うことが目的であるために、そのために局所的に大雨が降って、その土地の土砂崩れ、いろんなことが起こったりしますが、その土地の邪気を追い払うために大雨が降らされたりします。

雪も同じような効果の場合がありますが、ただ雪の場合は邪気を払うというよりは、邪気の質を変えていく。ネガティブな邪気を少し良い気に変えていくとか、邪気の質を変えるために雪が降っていきます。雨は邪気を追い払いますが、雪は邪気の質を変えていくという働きをなしております。

台風はやはり邪気を追い払うためですが、実際には追い払われた邪気が台風であり、台風そのものは逃げている邪気そのものを表しています。したがって、最終的には必ず台風、邪気は消えることになりますが、やられている邪気が最後の最後まで抵抗して頑張る、生き延びようとする、それがいろいろ暴れまわって、人間から見るとさまざまな破壊的なことを行ないながら、消えていくように感じられているでしょう。

この自然の現象を人間がうまく理解して、それで共存できることをうまくできるようになると、自然はもっと人間にとって良いように変わることができます。人間にとっていちばん住みやすいように、ちょうど良いように日当りがきたり、ちょうど良いところに風や雨が降ったりするようになります。人間の意識が進化していくとそういう状態になっていき、人間は常にちょうど良い天気の中で過ごせるようになります。

まだ地球自身がそこまで進化していないために、人間界と自然界の接点が強くはありませんが、皆さん方が意識をもって自然界と人間とのつながりを良くしていき、お互いに協力し合うことができるようになれば、そういう方向へと進んでいくでしょう。

それではアドバイスしていきます。





※個人アドバイスは省略します。

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