20160920 of Central Sun Ascension Report

/光の存在/苦しみ/欲が苦しみに/目に見える苦しみと目に見えない苦しみ/努力することではなく才能を生かすことが人生を豊かにする/「我」が苦しみの根源/協力する・分かち合うということに意味がある/一人で頑張っても皆で共有することが愛・奉仕/幸せを分かち合うという心/価値観が多様化しても分かち合いは必要/他人を排除した自分ん道は宇宙的な自立ではない/自分の幸せは自分一人で手に入れるという間違った考え/間違った信念も苦をつくる/非常識な言動でも「私だけは大丈夫」という間違った信念/根拠のない信念・思い込みによる苦/

2016/9/19 宇宙交流会

このメッセージのいいねポイントは

目に見えない苦しみが現代の不幸の原因


①「私が」という我の心と根拠のない自信

私は光の存在としてお話をいたします。皆さん方の日常生活において見える苦しみと見えない苦しみ、これについてお話をいたします。いわゆる目に見える苦しみは、肉体的な苦痛、理解できる苦痛、解決法がある程度分かっている苦痛、また解決法が分からなくても年をとる、死に向う、いろんな意味での理解されている苦しみがあります。

しかし今の時代における皆さん方の苦痛の多くは、これ以外の要因によって苦痛を感じ、人生がうまくいかず、自分自身の生きる喜びを見出せないという状態になっております。今の人々の人生において意外と大きい苦しみは、それぞれが心の中にもっている欲につながる意識、本人は欲とは思っていませんが、結果的に欲を引き起こす意識があります。

いわゆる自分が楽したい、自分が楽してそのまま良い人生に流れていってほしい、これも欲となって動き出していき、他の人に何でもやってもらう、自動的に欲しいものが手に入る、働かなくても動かなくてもすべてうまくいく、こういう意識を根幹にもっていると結局結果的に大金を手にしたい、有名になりたい、あるいは大金を手にしている人と友達になる、うまくいっている人と友達になってうまくやってもらう、こういう世界を引き起こしていきます。

自分は何もしないでもうまくいってほしい、こういう気持ちがさまざまな欲を目覚めさせ、それが手に入らず苦しみと感ずる、こういった目に見えない欲を引き起こす原因となっているもの、これをどのようにして解決していくか、皆さん方の人生には努力することによって手に入るものと、努力しても手に入らないものがあります。これまでの皆さん方の文明の流れにおいては努力すればすべて報われる、努力すると必ず手に入る、こういう教えがあり、実際にそういう社会が続いておりました。

小さい頃は貧しくても自分で勉強を頑張り、仕事を一生懸命頑張って本当に欲しいものが手に入った、こういう時代が存在しておりました。しかし今の時代は全員がそのようにうまくいくわけではなく、初めから大金を手にした家庭で生まれてくる、初めから何もない家庭で生まれてきて、努力しても努力しても何にもならない、こういう時代に入っております。

努力すれば報われるという世界が崩壊していき、必ずしも努力が人生を豊かにするわけではない、努力しても無駄になることがある、こういう意識が広がっていき、努力することと人生が豊かになるというつながりがなくなっております。努力しても人生が豊かにならない、ではどのようにして人生を豊かにしていくのか。並外れた才能を手にしている、平凡な人よりもはるかに高いレベルでの何らかの能力を手にしており、それによって社会を変える、人々を変える、それぐらいの影響力のある人になってくると、ある意味では恵まれた人生を手にする場合もあります。

人よりも何か優れている、今はこれが一つの大きな鍵を握っております。以前は皆が同じようなレベルにあり、皆で頑張る、皆で協力し合う、皆で努力して成功を皆で分かち合う、そういう価値観の時代であったために特別な能力をもつ人よりは、調和の心をもって皆でうまくやるという人が求められておりました。そのために以前は優れた才能や個性をもっていても、それを使えずにただ皆に合わせ、平均点のままで人生を終えてしまう、そういう人もかなり存在しておりました。

しかし今の時代は平均的な生き方をしていても幸せになれない、平均的な人よりも優れた何かをもっていて、その力を発揮することによってやっと豊かな人生が手に入る、こういう時代に入ってきているのです。したがって並外れた能力を手にしていない人は、もうそのまま人生が楽しくない、つまらないという意識を身につけてしまい、何もしなくても豊かになる方法を手にしたい、自動的にうまくいくやり方を手にしたい、こういう考えの人がどんどん増えてきているのです。

もちろんこのように何も努力しなくてもうまくいくようにしてほしいというのは本人の心からつくられたものであり、これは光の心でありません。いわゆる自分のことしか考えていない、自分の人生しか見ていないという意識からつくり出された心になります。以前は皆で協力し合う、皆で助け合うという心があり、それは自分の人生だけではなく共有しているものたち皆、会社のグループ皆で協力し合う、家族皆で助け合う、友人の皆で一緒に何かをする、こういう意識があり、自分一人の人生ではなく他の人の人生も共有しそこで協力し合うという力によって皆で協力し合う喜びを感じ、またそれが人生の喜びにもなっていました。

そうやって生きてきた今の年老いた者たちも以前は家族のために、家族の皆のために協力する、協力してもらうという意識で生活を支えてきましたが、今はそういう心がどんどん失われていき、自分の人生が楽しくないと意味がない、家族皆でやっても私は楽しくない、こういう価値観の時代になっていき、自分が楽しい、自分が満足するということが第一に優先されております。

したがって今の時代における一番の苦しみは、「私」、この苦しみになります。私が満足したい、私が幸せになりたい、私が成長したい、この「私が」という我の心が一番の苦しみをつくり出していきます。自立するということはとても大事です。しかし自立する、の本当の意味は、精神的な自立、この精神的な自立が本来の自立の意味であり、自分だけ喜ぶとか自分だけが良い人生に入るというのを自立するという意味でとらえてはいけません。

やはり基本はお互いに助け合う、お互いに協力し合って何かを成し遂げる、やはりこの心は大事であり、これは失ってはいけない心になります。皆に合わせるのは面倒臭い、自分一人でやった方が良い、確かにこれは十分に真実をついております。自分のやり方で自分一人でやる方がうまくやれるし、早くできる、これは真実としてあります。

しかし宇宙から見た時、うまくやることに意味があるのではなく、皆で協力することに意味があります。つまり皆で協力するということは喜びを分かち合う、喜びを分かち合うということは喜びを他の人に与えてあげる、自分一人の喜びではなく喜びを皆に分け与えてあげる、こういう意味があるために皆で協力し合うということは宇宙的に見てとても良い心になります。

しかし今はこの分かち合うという心がどんどん崩壊していき、私が楽しい、私が良ければ良い、この我の心、これが苦しみをつくり出す根本の波動になっております。私が、私が、この私がという我の心をどのようにして良い波動にもっていくか。知らず知らずのうちに自分の心を支配しているこの我の心、私がやってあげた、私が教えてあげた、私が導いてあげている、私が用意してあげた、私が話してあげた、私が、私がという我の心、これがすべての苦しみを引き寄せていきます。

「私が」というこの「我」の心、これにまず気づくが必要であり、私がという言葉の時に常に我の心があった、それを思い出し、自分一人で楽しもうとしていないかどうか、他の人に幸せを分け与えようとしたかどうか、私が働いたのだから私のお金、私が努力したのだから私が報酬をもらう、これはすべて宇宙から見れば欲として認識され、我の心、魔の心として扱われていきます。

たとえ自分一人で頑張ったとしてもその成果を皆で共有する、これが奉仕の心であり、これが愛であり、人を暖かく支える良き心につながっていきます。ある意味では自己犠牲の一つの基礎的なトレーニングということもできるでしょう。私が努力して報酬を皆に分け与える、この自己犠牲的なここがどうしても必要であり、それによって喜びが広がり、幸せが広がっていくのです。

自分だけ楽しければ良い、自分が幸せであれば良い、こういう心をもっているうちは、残念ながら幸せを手にすることはできません。お互いに幸せを分かち合う、お互いに幸福の道を共有し一緒に歩いていく、これによって自分にも幸せが得られ、皆で幸せを共有し合うことができるのです。

今の社会は価値観の多様化により一人ひとりの個別化が進んでおります。私はこういう考え、私はこういう価値観、私はこういうやり方、このようにして価値観が多様化し個別化が進むにつれて逆に我の心がどんどん強くなっていき、私のやり方、私のもの、私がやった、いろんな意味で我の心がより強化されていきます。

しかしこの価値観の多様化に惑わされず、価値観が多様化し一人ひとりの価値を認め、一人ひとりの個性を尊重したしてもそれでも皆で分かち合う、共有し合う、一緒に行なう、これは忘れてはならないのです。今の日本においては個別化、価値観の多様化によって本当に一人ひとりが自分の道を歩いております。

しかしその場合の自分の道というのは、他人を排除した自分の道であり、宇宙的に見た自分の道ではありません。宇宙的に見た自分の道は他人も他の人も基本は同じ道を歩いている、それをしっかりと認識していくのです。ただ一人ひとりの歩く速度や歩き方が異なり、それは尊重してあげるけれども基本は同じ道を歩いている、したがって障害物があれば他の人の迷惑にならないように取り除いてあげる、道が分かりにくければ他の人が歩けるように分かりやすく整理しておく、いろんな意味において他の人も一緒に歩いていることも理解する必要があります。

しかし私が、私がという我の心によって自分一人でただ自分の道を歩いていく、こういう価値観が完全に出来上がってしまい、それによって幸せは自分一人で自分の幸せだけを得なければならない、こういう状態になっているのです。自分の幸せは自分でつくる、自分で引き寄せる、こういう幸せになっており、自分で頑張らないと自分の幸せが手に入らなくなっているのです。

しかし以前の皆で分かち合う、皆で協力し合うという心の場合は、皆と一緒に歩いていると他の人の幸せも自分の幸せとして感じられる、隣で歩いている人、前を歩いている人、後ろで歩いている人の幸せ感も自分が感じられてきて、一緒にいるだけで喜びが感じられてくる、これが以前の日本人の幸せの感じ方でした。

今は一人ひとりが我の心によって分裂していき、自分の幸せは自分で見つける、隣の人が幸せだと嫉妬を感ずる、隣の人が幸せだとむかついて幸せを奪いとってしまう、こうやって一人ひとりの幸せがお互いに妨害し合って誰も幸せでなくなっているのです。結局生きていることが辛い、苦しい、こういう状態をつくり上げていき、苦しみがどんどん大きくなっていくのです。

したがって今皆さん方を苦しめているさまざまな原因は、私がという我の心、まずこれを理解して多くの人と分かち合う、共有し合うということをはっきりと再認識するようにしていってください。

我の心の次に見えない苦しみとして影響を与えているものに、いわゆる間違った信念というものがあります。勝手に私は大丈夫とか、私はちゃんとやっている、私は正しい、こういう自分は大丈夫とか、私はちゃんとやっている、この間違った信念、間違った考え、勘違い、こういったものがまたさまざまな苦しみを与えております。

心の底のどこかで私だけは大丈夫、私はちゃんと天の道を歩いている、私は絶対に大丈夫という根拠のない変な自信がつくられており、それによってとんでもない非常識なことをしても私は大丈夫、こういう勘違いした言動をとる人がとても多く存在します。こういった勘違いした言動は結果的に自分自身の人生の流れに悪影響を与えていき、正しくない道を歩いているということを知らせるためにいろんな障害が現れてきます。

しかし本人はそれを障害と思わず、私はちゃんとやっているのになぜこんなに不幸なのでしょう、私は正しいことをしているのにどうして神様は言うことを聞いてくれないのでしょう、こうやって毎日のように天に何らかの祈りを捧げている人がおります。確かにカルマやさまざまな人生の状況によってうまくいかないことはあるでしょう。

しかし勘違いによって起こされるさまざまな苦しみは、純粋に本人の問題になります。正しい考え、正しい信念をもたないということによる苦しみであり、これも今の現代人の大きな問題になっております。間違った考え、さまざまな考えがあり、お金さえあれば大丈夫、有名になれば大丈夫、知識があれば大丈夫、いろんな勘違いが頭の中でつくられ、それによってなぜか人生が豊かになり自分が幸せになるという根拠のない勘違いの人がたくさん存在しております。

こういう根拠のない思い込み、勘違い、根拠のない自信、こういったことによって現象化されるさまざまな現象、それを単純に苦と思わず、不幸と思わず、しっかりと自分を分析して自分の考えに間違いがないかどうか、本当に正しい言動をとっているかどうか、常にチェックできるように意識を向けていってください。


Aさん、あなたの日常の生活の中で、自分で意識できていない苦しみの現象として、自分では当然のように真理と思っている状況の中で、実際にはその真理のように行動しても結果的にうまくいかない、結果的に逆の現象が起きてしまい真理と思っていたことが信じられなくなる、こういう苦しみがあります。この苦しみの原因はあなたが理解した真理をそれを人に教えていく、人に教えることによって自分は正しい真理を手にしている、自分は他の人よりもより多くの真理を手にし、それによって自分は天に近いという証を手にしようとする、こういう心からうまくいかない現象が現れてきます。正しい真理を仮に口に出す場合でも、これが真理だとして口に言うと必ずそれを覆す現象が起こされていきます。人に教える時はこれが真理だとして教えるのではなく、その人にとってはその人はこうした方が良い、自分はこういう時はこうだけれどもあなたにあたるかどうかは私は分からない、常にこういうような意識が必要であり、真理は人によって異なり、状況によって異なり、相手によって異なった現れ方をしていくのです。真理という言葉と現される現象は別であること、意識レベルや理解度、その人の信念によって現れてくる現象が異なるために、本当の真理を口で言うことはとても難しいのです。人間が口に出せるのはせいぜい自分にとってはこうであった、でもあなたにそれがあてはまるかどうか分からない、あなたにはこうした方が良いかもしれないけれどもそれは最終的にはどうなるか分からない、こういう言い方が最低限の言い方であり、これが真理だとして口に出すとほとんどが別の現象を引き起こしてしまうのです。そういう真理の解き方を学んでいき、相手にとって相手が正しい真理を理解できるような工夫を考えていってください。

Bさん、あなたの日常における苦しみの現象として、自分は相手のことを理解し、相手のことを分かってあげてちゃんとやっているのにも関わらずうまくいかない、自分は相手を許し慈悲をもってちゃんと接しているのにうまくいかない、こういう苦しみがあります。自分は正しい考えで正しい心で接しているのにうまくいかない、これはある意味ではスピリチュアルな世界における典型的な苦しみになります。いわゆる結果を期待しないという学びをしている最中になります。何かをすればこう良くなっていく、良くなっていくためにこうした方が良い、こういう因果関係で結果が良くなるために何かをしようとするとほとんどがうまくいかない現象を現してくるのです。本当に良くなる結果を現象化させるためには無私の心で結果を期待したり求めることなく、ただ奉仕をする、ただ行動する、ただ正しいことをする、そうすれば良い現象が起こる可能性がありますが、実際にそれで正しい良い結果が起こるかどうかは保障はできません。それはすべてあなたの背後にある神なる存在、あなたの背後にある現実化を司る神の心次第であるために、本当にあなたが相手のことを思い、相手の幸せのために尽くしているかどうか、自分が幸せを手にしようとして相手に尽くしたとしても、これは我の心として判断されてしまい、結局は良くない現実を引き寄せてしまうのです。したがってせっかくしてあげたのに、こういう心をいっさいもつことなくただ無条件で相手のために尽くす、そういう心を身につけることにより少しは苦しみが解消されていくでしょう。

Cさん、あなたの現実における苦しみとして、自分は自分のペースでうまくやりたいのに常に自分のペースが崩されてしまう、自分のペースでやればちゃんとできるのにこのペースが壊されてしまう、こういう苦しみがあります。自分のペースでやれば自分はうまくいく、これは確かにそうですが、自分のペースで自分がうまくいくという意識の段階で自分と他人を分離する波動がつくられてしまい、自分の世界と自分以外の世界、自分のやり方と自分以外のやり方、この分離が行なわれていき自分と他の人の世界が別の世界になっていきます。自分と自分以外の世界で見ると自分以外の世界の方が強い力を自分に与えてきます。自分が自分以外のすべての人に打ち克つためには自分自身の力が自分以外の人すべての力よりも強くならないと自分が自分のペースでうまくできることはありません。しかし自分が自分以外のすべての人をうまくもっていくためには、戦う力ではなく許す力、相手を受け入れ相手を許す、そういう自分の力が自分以外の力すべてを包み込むことによって、初めて自分のペースで自分がうまくいくようになります。しかしそれでも自分がとか、自分のやり方という意識ができると、途端に分離してしまうために分離しないで相手を包み込んでいく、相手を自分の一部としてとらえていく、こういう意識をつくることによって自分が良い現実を引き寄せることができるようになっていくでしょう。

Dさん、あなたの現実で現れてくる苦しみとして、自分の思っていることや感じていること、考えていること、これらがなぜか他の人には受け入れられない、自分の頭の中で明確に理解し分かってちゃんとやればできるはずなのに、それを表現しても他の人は受け入れることなく無視されたり、逆に責められたりしてしまう、こういう苦しみがあなたの現実の中にあります。私はちゃんとやってちゃんとやるべきことをやって考えて努力した、しかし誰も受け入れてくれない、これもやはり自分が考えた、自分のやり方でやった、私ならこうやる、私ならここまでできる、この考えが我の心であり、分離の心であり、自分と他人を分離させてしまいます。この分離の我の心によって自分以外の人の多くの力によって跳ね返されてしまい、自分のやろうとしていることがことごとく無視される状態になっていきます。自分の考え、自分のアイデア、さまざまなものを考える時、他の人はどう考えるか、他の人のアイデアはどうなのか、他の人の考えも一緒に考えるやり方を身につけてください。他の人一人ひとりを考えていきながら、この人はこう考えるかもしれない、この人だったらこういうやり方をするかもしれない、私はこのやり方が良いと思うけれどこの人のアイデアも採用してみよう、こうやって自分と相手を分離するのではなく、統合した中で同じ仲間のアイデアとして良いものを採用し、そして素晴らしいものを見つけて多くの人と共有する心でアイデアを出していく、このような考えに変わっていくと我の心、分離の心が弱くなっていき、少しずつあなた自身のアイデアも受け入れられるにようになっていくでしょう。

Eさん、あなたの現実における苦しみとして、あなたの毎日の人生の中で何か楽しくない、何かはっきりしない、何か心が明るくなっていかない、こういう苦しみ感があります。この何か自分が生きている喜びを感じられない、この苦しみの原点は自分がもっともっと奉仕をして他の人に奉仕をすることによって他の人が幸せになる、他の人が喜びを感ずる、この体験がまだ少ないことから起こされていきます。奉仕を求めず相手からの反応を求めることもなく自分が率先して人のためにどんどん奉仕をしていく、相手が無条件に幸せを感じ無条件に喜びを感ずる、それをまた期待したり求めるのではなく、ただ相手が幸せであることが自分の幸せになっていく、こういう心が養われていくと自分が人のために何かすること自体が喜びになっていき、もっと多くの人に喜んでもらう、もっと多くの人が喜びの中にあるという、こういう気持ちが養われていくと毎日の人生が楽しいもの、喜びの溢れたものに変化していくのです。今は他の人の喜びを自分の喜びとして受け取ることができない心になっているために、何か自分が楽しくない、つまらないという苦しみが現象化されてしまうのです。他の人に無条件に奉仕をし、他の人が喜ぶ、楽しむのをただ喜びとして共有していく、この心を育てていってください。

Fさん、あなたの現象における苦しみとして、自分は自分の心の中で充実感、満足感があり、だんだん自分の人生が良い人生として見えてきた、ただこれを大声で表現するところが存在しない、自分の心の喜びを共有できる人がそれほど多くない、この自分の喜びを心から分かち合える存在、これがいないという苦しみがあります。自分はだんだん見えてきた、人生が、生きていることが生きる意味が見えてきた、しかし共有できる相手がいない、これもある種の苦しみであり、結果的に自分一人で苦しんでいるような感覚が現象化されてしまいます。この苦しみを解消するためには自分が分かったという知識のレベルで満足するのではなく、行動することによってそれを広げていく、この実践、行動するということが欠けているために起こされる苦しみになります。分かって満足するのではなく、正しい言動、正しい言葉、正しい愛の実践をただ行なうこと、見返りを求めず、反応を求めることなくただ正しい行動をとり、正しい愛を実践する、そうすると他の人が愛を感じ、他の人が幸せを感じ、他の人が正しさを認識していく、こうやって自分の周りに自分の言動によって変わる人が少しずつ確認できるようになると、ただ自分が正しい行動をすることによって自分の周りの人が正しく変わっていく、それ自体が喜びとなって感じられていきます。したがって分かるという喜びのレベルから行動する、実践するという喜びのレベルへと引き上げていくことにより、あなたの今の苦しみは解消されるようになっていくでしょう。

Gさん、あなたの減少における苦しみは、あなたはいろんな意味においてよりうまくより正しくより強くする、とても強い向上心があり、それによって人より早く、人より上に、もっとうまくという力が常に働いております。この向上心は場合によっては自分の我の心を強くしてしまったり、いわゆる比較競争、こういう心を動かしやすい状態をつくり上げていきます。自分がどんどん成長し向上しうまくいったとしても決して比較しない心、他の人を下に見たり、常に謙虚な心を維持していれば自分自身の現実はもう少し楽になっていきます。今はこの向上心、これが強くあるためにまだうまくできない、まだ完成していない、もっともっと上の人がいる、もっと分かっている人がいる、こういう心が常に動くために何か完全ではない、まだ満足ではない、うまくいっていない、こういう心が動き回っていて不完全な心が常に自分を覆ってしまうのです。したがって比較することなく自分がただ達した成果を自分で認めていく、できたことを自分で喜びとしただそれだけを自分自身の存在として正しく受け入れていく、このように比較の心をなくすことによって多くの人との一体感を取り戻し、また自分が自分に対してもっているうまくいかないという心も払拭することができるようになっていくでしょう。

Hさん、あなたの現実における苦しみとして、いろんな人との交流の中で自分を表現しようとしてもうまく表現できない、心そのものは良い心で相手のために何かしようとしたり、相手に優しくしようと思っていてもなぜか表現がうまくできない、こういうもどかしさ、うまくいかないというジレンマ、さまざまなものが苦しみとして影響を与えております。この苦しみから解放されるためには、自分がどうしよう、自分がどうしようという意識自身が我の心になっており、基本は自分のことしか考えていない意識状態と同じになってしまいます。自分がどうしようかというよりも相手はどうすると喜ぶのか、相手は何を求めているのか、相手は何で苦しんでいるのか、相手を解放させようとする心、相手が楽になるようにもっていこうとする心、この心をもっともっと強くもっていくことです。一人ひとりを観察し、何で苦しんでいるのか、何を望んでいるのか、それを探ろうとしてください。そして感じたことをどんどん行動に移してみる、初めは間違っていたとしても気にすることなく、感じたことをどんどん行動に移してください。そのうちにだんだん分かってくると自分が感じたことが本当にその人が求めていたものだった、自分がやってあげたかったことが本当にその人が求めていたものだった、これが分かってくると自然に奉仕する心が動くようになっていき、自分のことを考えるよりも相手のことを考える心の動きがより活発に動くようになっていくでしょう。

Iさん、あなたの現実における苦しみは、自分の人生の流れの中で自分が理解し、分かり、信念をもって行動したことがそれが裏目に出たり、うまくいかなかったり、反発されてしまう、自分は心から信じており正しいと思っていても現実の中で行使すると、それが逆効果になってしまう、こういう心の思いがあります。自分は信念として正しいと心から思っている、しかしそれを行動するとなぜか反発されたり、無視されてしまう、これもある意味では自分の心から現象化されたものであり、自分が心の中で思っている信念、確信しているもの、天の気持ちをはっきりと理解し確実にこうなるはずだと思っている心、これは正しかったとしても一般にこれを行動する時には相手が本当にそれを許可するかどうか、相手が求めているかどうか、この相手との兼ね合いでこの行動の仕方が変化していくこと、あるいは現象が異なって現れてくること、今これを学んでいる状態といえるのです。つまり自分が理解している信念、法則的なもの、これを正しいとして行動しても相手が別の法則や相手が別の真理で動いている時には、場合によっては相手の法則が優先する場合があるのです。相手の法則が優先する場合は必ずしも相手の光が上とか、相手の力が上という意味ではありません。いわゆる単なる現実化の心、現象化させる神の心、それは相手にとっても自分にとっても意味があることであり、それは相手にとって良い場合もあれば自分にとって良い場合もあります。自分にとって良い場合というのは、自分なりに理解している宇宙の法則と相手が理解している宇宙の法則が異なる場合でも、相手の学びのためにわざわざ相手の宇宙の法則に合わせたり、あるいは相手の宇宙の法則を覆すような現象をしたり、その時その時の神の心によって現象化が変わってしまうのです。したがって自分が心から思っている信念、宇宙の法則的なものが仮に現実でそれを行使して逆効果になったとしても、それ自体を許すこと、宇宙の法則通りにいかないことがあるという宇宙の法則を学んでいるところであり、相手との兼ね合いで法則通りではうまくいかないこと、これを学んでいるのです。一般にスピリチュアルな勉強をすると法則的なものが理解されてきますが、この法則を理解すると必ず法則通りにいかないという学びが次の段階としてやってくるのです。そういう意味において宇宙の法則との付き合い方、接し方を学んでいるところ、それを理解して現実のレベルで現象化された時に大きな心で受け入れるように意識をもっていってください。

それではここまでにいたします、ありがとうございました。




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