20160719 of Central Sun Ascension Report

/信心/すべてが神の計画の中/今は神と一番離れている時期/神に向けてまた近づいていく/職業のために信心をもつ人/信心とエゴは正反対/すべてが神の手の中/神や天に対する感謝/

2016/7/18 宇宙交流会

このメッセージのいいねポイントは

神とのつながりを取り戻していく


①すべてが神の手の中

私たちは光のハイアラーキとしてお話をいたします。信心というテーマの話がなされておりました。今の日本の人々の信心の心がかなり弱くなっており、確かに以前の日本の人々の心に比べれば神仏に対する敬いの心は弱くなっております。一人ひとりの自由意思が強くなると同時に神とのかかわり、自然とのかかわりが弱くなっていき、自分の世界は自分でつくり上げていく、自分の力で自分が自分の人生を良くしていく、そういう生き方がごく普通のものになってきております。

大きな流れから見れば天から離れ、自然界から離れ人間だけが単独で人生を生きているように見えております。しかしこの天から離れ、人間だけで単独で行動するというこの生活そのものも神が計画した流れであり、これすらも神の思いの中、神の計画の中であることを理解しておいてください。

人間が完全に神から離れ、まったく神を信じない、神とのつながりがまったくない、そういう一番神から離れたところまで人間が堕ちていきながら、そこでいかに自分の中の神の心を目覚めさせ、神の道を歩き始めるのか、神から一番離れた時点においてどうやって自分の力で神の心に目覚め、神に向って歩いていくことができるか、それが今皆さん方になされているテストになるのです。

日本の人々はある程度天や神に対する感謝の心を身につけ、すべてを神と共に生きておりました。しかしこの神の計画によって神の意識がどんどん消えていき、いずれは完全に神の心がなくなってしまう、そこまでいきながらもいかに神を取り戻し、神に向って歩くことができるか、まさしくそれが求められているのです。

今の日本の人々はおそらく今が一番神から離れた状態になっているでしょう。これからまた少しずつスピリチュアルな意識が取り戻されていき、また少しずつ少しずつ神の方へと意識を向け、神を受け入れる生活が始まっていくでしょう。したがって今一番神から離れたところでまったく神が感じられない、神が現れない、神を見ようとしても見えない、そういう一番神から離れた状態の中でいかに神の心を取り戻すことができるか、いかに神に向って歩くことができるか、まさしくそれが求められている状態になります。

皆さん方はまだこういうスピリチュアルな学びをしている流れにおいて、いわゆる神はまだ正直言って分からない、見えないし聞こえない、それでも神は何とか信じている、それが今の皆さん方の普通の状態になるでしょう。このどこかで神を信じている心、これが皆さん方一人ひとりの信心の心になります。

集合意識で見ると信心の心をしっかりと発揮させている人はほんの一握りの人々であり、普通の人が普通の人生を進めながら神の心をしっかりもって、神を信じ、神の生き方をしている人はほんのわずかになるでしょう。これから少しずつ少しずつその心を取り戻し、また日本人として正しい神の生き方をする時期がやってくるかもしれません。

ただ今のままではなかなか難しく、人によってはこれからさらに自分の意識だけで自分の力で自分の人生をつくり上げていく、神の力ではなく個人の力で人生を切り開いていく、そういう人もまだまだ増えていくでしょう。皆さん方にとって神というものがいったい何のか、そこに本当に向き合う時期が訪れることになります。昔の人々の信心のある人々は神をなぜ信じていたか、それはやはり不幸が訪れた時、いわゆる病気が急に訪れてきたり、あるいは収穫物がうまく手に入らない、生活がいつも貧しくなかなか良くならない、そういう人々が本当に神を信じ、いつかは良くなるように、いつかは体が良くなるように、そういったことに思いを馳せ、真剣に神を信じておりました。

たとえ具合が良くならなかったとしても、神を否定する人はおらず、それでも神を信じ続け、その試練さえも意味があること、神が与えた試練と考えてすべてを受け入れる覚悟ができておりました。しかし今は科学の発達により病気は病院で治ることができるようになり、生活も普通の生活ができるようになってくる、したがってあえて神に頼らなければならないという状況がかなり減ってきているのです。

そういう意味もあって神頼みをするという現象が減ってきているのもあるでしょう。ただ今の人々にとって何が人生の目的なのか、そう考えた時そもそも自分は何のために生まれてきたのだろうか、自分は何をするために肉体をもったのか、そういう人生そのものに疑問をもち、自分を知ろうとする時、どうしても神なるものが現れてきます。

そして自分の人生を本当の目的に従って進めていきたい、やるべきことをちゃんとやっておきたい、そういう心が強くなると改めて神なる存在を求めることになります。したがって今の時代においては生活の苦しみや病気に対する苦しみを解決するのではなく、自分の人生の目的、人生そのものを本来の目的を達成するために神とのつながりを感じ、神からいろんなことを教えてもらう、あるいは神に導いてもらう、そういうことによって神とのつながりを取り戻そうとしているのです。

今の皆さん方の意識レベルにおいては、なぜ神とのつながりが必要なのか、やはり一人ひとり肉体をもって生まれてきた意味があり、目的があり、日本に生まれたという意味もあり、一つひとつの意味を明確にしたいという心を身につけております。本来そういったものはいちいち考えて答えを出さなくても人生そのものがそれを教えてくれることになり、どのように生きたとしても結果的に自分のやるべきことがなされるように仕組まれていきます。

したがって本来人生を生きながら答えを見つけていく、現実を体験していきながら現実から答えを見つけていく、これが本来の生き方になります。そういう意味において現実そのものが神なるものであり、現実で出会う人一人ひとりが神の現れ、神から与えられたシンボル、そう理解していき現実を神からの贈り物として受け入れていく、こういう心が身についていれば十分に信心を身につけた人々ということができるでしょう。

今の皆さん方にとってあえて神がどうとか、神そのものを論ずるのではなく、与えられた現実そのものが神からの贈り物、神が自分に与えたテストであり修行であること、それを理解して素直に受け入れていけば自分自身は信心を身につけた人間と理解しても良いでしょう。

②金銭的な欲をいっさいもつことなくすべてを感謝をもって受け入れる

私は日本人という集合意識の中にある信心の意識になります。日本人の集合意識における信心は、今日本人の集合意識とのつながりがかなり弱くなっており、すべての人につながってはいても極めて細い人が圧倒的に多く、しっかりつながっている人はわずかにしか過ぎません。しっかりつながっている信心のある人々を見たとしても、正しくつながっている人はまた少なくなっております。

信心の心でしっかりつながっている人がいても、いわゆる職業的に見て信心の心を身につけ、自分の生活のため、仕事のために信心が動かされております。ごく一部の人は本当に心からの信心が動いており、純粋に神を信じ、神を敬い、神とのつながりを確立している、そういう人もこの日本には存在しております。全体の数からすればほんのわずかですが、こういう信心の持ち主は私たちの信心の波動としっかりとつながり、私たちの思いをその人を通して具現化することが可能になっております。

今の状態はおそらくしばらくはあまり変わらない状態といえるでしょう。日本の人々の心がまだしばらくは急激に変わることはなく、信心の波動も今と同じようなつながり方が続いていくでしょう。しかし何十年か過ぎていくと、この信心の心をかなりはっきりと身につけ、行動する人が少しずつ多くなってきます。

いわゆるスピリチュアルな目覚めを起こす人が少しずつ増えていくに従い、現実をそのまま受け入れていく、すべての仕組みを感謝をもって受け入れる、そういう人が多くなっていき、必然的に信心の心も多くなっていきます。そこに向けて信心の心を大きくしていくためにも、今の皆さん方一人ひとりがしっかりと信心の心を身につけ、つながり続けていること、周りの人がどうであろうとも自分は信心の心をしっかりと身につけ、信心の心で毎日を生き、この光を常に現実世界に降ろしていく、こういったことを行なうことを望んでおります。

今の信心の持ち主の状態を見ていくと、正しい信心を身につけている場合でも、どうしてもビジネス的な心やいわゆる金銭や生活が関与する人が多く見受けられております。信心の心ですべてを受け入れ神を信じている、そういう心がありながらもどこかでもっと恵まれるように、何か豊かになるように、そういう心がどうしても現れてしまい、現実がどのような現実であったとしても、それをすべて受け入れるという信心の心はなかなか難しい状態になっております。

本当の信心の心は自分の生活がどうであろうが、自分の金銭的なものがどうであろうが、それはすべて神のはからい、すべて自分自身の人生の仕組みとして受け入れていく、すべての現象に不平不満を言うことなく、決して人のせいにしたり神のせいにしたりすることなく、すべてをあるがまま受け入れていく、これが信心の本来の心になります。したがってわずかでも不平不満を言う、気に入らない、現実を何とか変えたい、こういう心があればもう本来の信心の心ではなく、いわゆるエゴの心として認識されていきます。

つまり信心の心とエゴの心は正反対のものであり、エゴがどれだけあるかということが信心がどこまで目覚めているか、それと大きなかかわりをもつことになります。自分のエゴを減らしていき、あるがまま、そのままの現実を受け入れていく、これはとても良い信心の心になるのです。

西洋人的に見た場合は生活が苦しい、自分の人生がうまくいかない、そういう時に自分の力で努力して努力して何とかもっと豊かになる、良い生活環境へともっていく、そういう風にすることも良い生き方という人がいるでしょう。確かに自分の力で努力して豊かになる、生活が楽になる、それ自体は否定することはできません。

ただそれが自分の力でやった、自分はそれによって喜びを得た、そういう意識が強くなると結果的に神を信じない、神ではなく自分の力で豊かになった、そういう意識が強くなると信心の心が消えることになります。頑張ったから手に入る、これは皆さん方からすれば自分が頑張ってその報酬で自分が金銭を手にした、そのように思うかもしれません。

しかし本来はその人が努力し頑張ったことによって神が皆さんに報酬を与えた、神がその分だけ富を与えた、そういうことであり、自分の力で頑張って手にしたのではなく、神の大きな手の中で動かされ富が与えられていること、その大きな仕組みを理解できるようにしておいてください。

基本的に人間は全部自分の力ですべてうまくいく、自分一人でうまくいくということは有り得ないのです。必ずより大きな神の心の中で動かされており、自分が努力したことによってその分神や天から報酬が得られる、そうやって自分が手にしていること、したがって自分が働いた結果であったとしても、天や神に対して感謝の心をもち、素直に感謝で受け入れていく、この心がしっかり出来上がっていれば常に信心の心が動き、自分の中でさらに目覚めていき、より人の奉仕のために使えるようになっていくでしょう。

自分の力で行なったという気持ちではなく、天に生かされ、神に愛され、それによってすべてがうまくいっている、常にこの心を理解するようにしておいてください。


Aさん、あなたの信心としてお話をします。信心としての光にまだ弱い状態にあり、あなたの心の中で明確に輝き出すことができておりません。信心の心としてあなたの中で目覚め、動き出すためには、ある意味では何か封印されてしまったような感覚があり、いわゆる証がほしい、何か明確な証拠がほしい、確かなものがほしい、こういう意識によって信心の心が弱く小さくされております。証を得る、証拠を見せる、こういう気持ちをすべて取り除いてください。証や証拠を感ずるのではなく、ただ信ずること自体を喜びとする、ただ神に対する感謝の心だけを出し続けていく、これがあなたの信心を目覚めさせる出発点になります。あなたの心の中にある信心、これをただ信じて人生でただ信ずることによってそれだけで人生を喜びとしていく、ただ自分の信心を心の中に宿らせ輝かせることによって毎日の人生そのものが楽しく有意義に生きることができる、この気持ちを身につけることです。結果を求めず証拠を確認することなく、ただ信ずる、ぜひそこだけに意識を向け心の中で輝かせていってください。

Bさん、あなたの信心としてお話をします。あなたの心の中で信心として輝かせようと思ってもなかなかうまく輝いていきません。信心としては常にあなたの心の中でここに神がいる、すべての始まりはここにある、すべてがここに存在し、すべてがここから始まっていく、この思いを常にあなたに伝えております。しかし毎日の生活の中で自分の意識が手一杯であり、毎日やることが多くとても信心に目を向けることができません。あなたの悩んでいる多くの問題の中で、実際にはこの信心にしっかりつながり信心を正しく感じて、悩むことなく、ただ自分の中の大いなる信心と一つになれば半分くらいの悩みはなくなり、消えていき、苦しむこともなくなっていきます。つまり半分くらいの悩みは信心がないために起こされている悩みとも言えるでしょう。心の中の信心にしっかりつながり、与えられた現実を感謝をもって受け入れていく、特にあなたの信心として人とのつながりにおいて、すべてにおいて相手の心の中を感ずるようにしてください。どのような人にも、どのような時でも相手の心を感じようとし、相手の心に感謝の心を送ってください。どんな時期でも、どんな状態でも相手の心を感じ、そこに感謝を送り届けていく、これができるとあなたの信心のパワーが強くなっていき、自分の抱えている問題の半分以上がいつの間にか消えていき、楽に生きられるようになっていきます。

Cさん、あなたの信心としてつながることができていることを喜びとしております。あなたの信心としてあなたの心に定着され、動き出し、光でつながっていることはとても喜ばしい気持ちであります。あなたの信心の心は特にいろんな人々を見た時、常に何かしてあげたい、光でつながっておきたい、大切にしておきたい、こういう心が動き、自分の光で何かできないか、その人のために役に立つことはないか、こういう光が常に動いております。この信心の心をさらに発展させ強く維持できるようにするためには、一人ひとりが本当に困っている時、悩んでいる時、自分は何もできなかったとしても自分自身が神なるもの、光なるものを呼び、つながり、その光を相手に流していく、自分の体を通して神の光を相手に流していく、これをやっていってください。効果がないように見えてもこれをやり続けていくと、だんだん自分で分かるようになっていき、どういう人にはどうすればどういう光が流れやすいか、これが分かってくると本当に信心の心で神を呼び、神の光を使う、このやり方が分かるようになっていきます。信心はただの信心の心だけではなく実際にエネルギーとして使えること、それが分かるようにさらなるトレーニングを進めていってください。

Dさん、あなたの信心としてお話をします。あなたの心の中で動き出す信心の波動は、半分くらいは意識的につくられた信心の波動であり、半分はあなたが本質的に身につけていた信心の波動になります。あなたが意識的につくり上げた信心というのは、スピリチュアルな学びを始め進み、その流れの中で神なるものを理解し、つながり、神の光を使おうとする心によってつくられてきました。また始めからある信心というのはあなたがこれまでの多くの人生の中で身につけてきた信心の心であり、それが心の中でしっかりとつくられております。ただ自分が身につけてきた信心は、必ずしも強い信心というものではなく、いわゆる神がいるならそれをしっかりと信ずる、神が感じられるならば神をしっかりと受け入れていく、そういう信心の心であるために、時々見失ってしまったり、あるいはただそう信じ込んだりしているに過ぎません。この信心の心を高めていくためには本当に心から神を受け入れ、神を自分の中に宿す、それを強く信ずることが必要になります。確認をとってから理解するという意識ではなく、ただ始めからそれを受け入れ自分の中につくり上げていく、この強さが必要であり、自分がどのような状態であろうとも神なるものを受け入れ、そして神となって自分が行動していく、これを確立させる必要があります。あなたの中で信心を確実に目覚めさせ確立させるためには、いちいち頭で考えるのではなく自然にすぐに神としての心や行動ができるようになる、自然に出会う人すべてを神と感じ、出会う人の言葉を神の言葉として受け入れていく、自分の体験のすべてが神から与えられたものであり、そのまますぐに受け入れていく、こういう心が必要とされます。現実のすべてをただ受け入れていく、それによって心の中の信心の心をはっきりと目覚めさせ行動できるようにしていってください。

Eさん、あなたの信心としてお話をします。あなたの心の中で育ってきた信心は、自分の心の中で目覚め動き出し、さらなる大きな動きができるように意識が向けられております。意識している時はあなたの心の中で神なる心、あるべき心に向おうとしますが、余裕がなくなるとこの神の心が消えうせてしまい、世俗の心で充満されてしまいます。いったん世俗の心のなると信心の心を取り戻すのに時間がかかってしまいます。したがって今の段階では世俗の心になりそうになった時にすぐに自分で心を切り替え、信心の心をしっかりと宿していく、あるがままの現実を受け入れ、現実を何とかしようとする心が動きながらも信心は見失わないようにしておく、神の計画や神の流れをそのまま受け入れていき、現実を正しく理解しながら最高の現実をつくろうとしていく、この気持ちだけは忘れないようにしてください。この現実を確実に受け入れていくという心があれば、あなたの信心は少しずつ成長していき、いずれは自分の心の中で定着できるようになっていくでしょう。

Fさん、あなたの信心としてお話をします。あなたの信心はあなたのスピリチュアルな意識の中で常に自分に意識を向け、こうでなければならない、こうしなければならない、そういう自分に向けての律する心の現れの中に信心の心がつくられております。したがってあなたにとっての信心は自分がスピリチュアルな目覚めを行なう方向に向けての一つの必要な心であり、この信心の心を自分のやり方でしっかりと身につけて、そしてスピリチュアルな自分を確立させる、そういう意識の中で動いております。この意識が間違っているというものではありません。自分の力で信心の心を身につけ、大きくさせていく、スピリチュアルな自分の生き方をしっかりと身につけていく、そういう面において間違いではありません。ただこのやり方の信心の場合、いわゆる愛という波動が少し難しくなってしまいます。現実をすべて受け入れ、あるがままを受け入れるという信心が身についたとしても、現実の一つひとつの中でいろんな人々とのかかわりにおいて、愛の波動が要求されてくるのです。信心の心によって神が現実をつくり、いろんな人とのつながりが神によって仕組まれてきた、しかしそのいろんな人々とのつながりにおいて、本当にその人が大事であるという愛の心、その人と心でつながろうとする愛の心が要求されてきます。したがって場を与えてくれた神への感謝や思いと同時に、現実にいる一人ひとりとは確かな愛でつながっていく、これを確立することができればあなたの信心はかなり良い信心の心になっていきます。自分の心をしっかりと感じながら神に対する信心と一人ひとりに対する愛、これをうまく両立できるように学んでいってください。

Gさん、あなたの心の中にある信心の波動は、あなたの心は大きな観点でいろんなところに興味をもち、いろんな世界につながりやすい波動になっております。その心の中で信心の心は、ある一つの方向に向けた信心の心になっており、それはあなたの心の中で輝いている信心になります。一つの方向に向けた信心というのは本当にこの世界をつくり仕組みをつくり、自分がそこに派遣されてきたという大きなところをしっかりと感じており、そのために自分が動かされていることを本質的に知っているあなたの心があります。このすべての計画の中で自分が動かされている、これがあなたの信心の心であり、常に大いなるものと自分とのかかわりを感じていることになります。あなたがさらにこの信心の心を発展させていくためには、一人ひとりもすべてこの大いなる神の計画で動いている、一人ひとりの心の中の信心も大きな神につながり、大きな神によって動かされている、これが分かってくると自分の心の中の神の心はさらに大きな広がりをもち、いろんな人の心の中の信心につながることができます。自分の中の信心を通して他の人のいろんな信心につながっていく、そうやってさらなる大きな神の心に触れていってください。

Hさん、あなたの信心として、あなたの信心は、自分の人生の流れの中で自分の方向性を常に知らせてくれる、自分がどこに向かいどの方向に行くかを常に知らせてくれる、これがあなたにとっての信心の波動になっております。迷った時分からなくなった時、常に方向性を教えてくれる、こういう信心であるために常に迷った時に信心を感じそこに向う、こういう流れが確立されております。この信心の心は自分が迷ったり困った時に、信心が方向性を見せてくれますが、今現在の現実の問題をどう解決するか、現実をどう理解し、どう解決するかという時にあまり信心が使われることがありません。毎日の現象の中で本当に困っている時、どのようにしてこの現実を良い方向へともっていくか、そういう時にも自分の心の中の信心を感じとり、いわゆる自分の具体的な対策、具体的な方法を確認する、やるべきことを感じとる、そういう意識をもつことによって信心からの何らかの感じを受け取ることができるようになります。方向性と同時に今何を行なうか、そういうことも感ずることができるようにして信心とのつながりをより広いものへともっていってください。

Iさん、あなたの信心としてお話をします。あなたの信心としてあなたの心の中で常に意識をもって動いております。神仏に対する思いは強いものがあるために、信心の心として定着することができます。ただ油断している時、無防備な時、意識していない時に時々信心の意識がなくなってしまう時があり、いわゆる感情の波動によって信心が覆いかぶさられてしまいます。ここだけをしっかりと自分で理解しコントロールすることができれば常に信心の波動を心に維持させ、迷うことなくすべての人を神の仲間として感ずることができるようになります。自分のさらなる信心を大きく強くするためには、自分の中に強い神が宿っている、自分の中に本当の神が宿っている、これを心から信じてください。ただそう思ったり、ただそう言い聞かせるのではなく、本当に自分の中に強い神が存在している、心からそれを受け入れ、その神の心と一緒に自分が毎日活動している、神と共に行動している、これを信じきることができた時、あなたの信心の心はかなり本物になっていき、神と一体となった行動を常に行なうことができるようになるでしょう。

今日は信心の波動を皆さん方に導き、アドバイスをしてきました。ぜひ自分の心の中の信心をしっかりと育てていき、より大きな活動ができるようにしていってください。それではここまでにいたします、ありがとうございました。

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